Greetings
「小さなニット帽で、セーター1着分の暖かさを目指す」
織物でもカットソーでもない、つながった1本の紡績糸から表現される横編みニット。
それは「ふわっとして柔らかく、着る人をやさしく包みこむもの」です。
大阪のニットの先駆者として、手編みの職人を育成・その独立を担ってきた頃から着る人が豊かな気持ちになれるオリジナル商品を提供できるような、最高の技術、開発力を常に養っていく事をモットーに歩んできました。
現在、海外製品が多量に流通する中、いかに「メイド・イン・ジャパン」を発信し続けられるか。
多くの同業者が「足元の明るい内に」と去って行ったなか、材料選択・撚糸加工、機械・編立技術縫製・二次加工当の確保、充実、経営全般の諸課題を1つずつ改善してまいりました。
創業90年を迎え、創業100年、またその先の100年を目指して、社員一丸となって邁進してまいります。
会社年表
昭和2年創業
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三重県津市出身の初代・野口利夫により創業する 常に先端の技術開発を行い、大阪地域のニット業界の発展に寄与し、通産省ニット技術検定委員、大阪ニット工業組合理事を歴任する 技術力を引継いだ2代目、野口治男は、西独製ストール社横編み機、伊製ダイヤルリンキング機、国産・巽精機コンピュータジャガード横編み1号機 JUST 1Wを導入し、職人中心の手横編み・家内工業から、本格的に機械工業化の経営を目指す |
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昭和32年
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伊藤忠商事の石井氏の紹介で、野球関連のジャージィを納品し、石本商店(現・デサント様、以下敬称略)と取引を開始する |
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昭和45年
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デサント社の石本他家男社長、田中佳副社長の指示の下、法人設立し、発起人、監査役へ就任していただき、資本金20%の出資を受け、以降は個人ではなく、企業として協力依頼される |
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昭和50年
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資本金を1千万円に増額 |
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昭和53年
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委託縫製加工契約会社から、製品仕入会社に移行する(ニット部) |
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昭和57年~59年
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デサント社の発展とともに、弊社も順調に推移する |
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平成5年
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島精機の最新Sタイプ(成型機)等12台を導入 |
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平成18年
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島精機のSWG、CWGの無縫製編み機4台を導入する 開発商品の特許、実用新案を所得し、商品の強化、独自化を図る セーターの成型編みから、ニット帽子等の無縫製編み(ホールガーメント編み)に転化して、ニットアクセサリーに特化する |
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平成21年
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2代目・野口治男の孫、4代目・上坪徹也が技術系メーカーから家業へ従事 |
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平成27年
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国の「ものづくり技術」補助金事業に申請・合格し、新設備を導入、よりホールガーメント技術を充実させる |
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